2005年サイパンDXバケーション by JA3MVI

「2005年サイパンDXバケーション」 JA3MVI 山本・記

昨年12月のサイパン移動運用の反省会で、次は大阪ハムクラブにも参加を要請して、東西合同ミーティングを兼ねた移動運用を実施したいとの発案があり、6月実施に向けて今年の早い時期から7MHzの日曜CWオン・エア・ミーティング参加局を中心にお声がけをして準備を進めてきました。しかし、残念ながら大阪勢の参加は実現せず、東京ハムクラブから5名が参加して、6月10日から13日まで3泊4日のサイパンDXバケーションを実施しました。

参加メンバーは、JJ1CDY 田渕OM、JA1HOD 上村OM、JR1QCQ 堀内OM、JA1LED 原田OM、そして当局JA3MVI 山本の5名です。回数を重ねたサイパン移動ですが、初参加のお二人も含めて出発の前の週に、事前アイボール・ミーティングを行い、サイパン滞在中の主要な行動計画や携行機材等の確認を行いました。今回は、HFのCW/SSBでの運用に加えて、6mの八木アンテナを持参して6mのオープンを狙うことと、RTTY等のデジタル・モード運用を計画しました。


出発日の6月10日は、例によって早めに空港に着き、チェックインして空港ラウンジでビール・ワインつきの朝食をとり、すっかりバケーション・モードに移行してしまいました。飛行機は、折から日本南方を横切っていた台風4号の影響もなく、梅雨前線を下に見ながらスムーズなフライトでほぼ定刻にサイパンに到着。空港では折から天皇皇后両陛下のサイパン島訪問を控えて、訪問準備とテストフライトでサイパンに来ていた「日本国特別機」が出迎えてくれました。迎えの車でホテルに向かい、最上階である10階の部屋に落ち着きました。

すぐに着替えて、機材を取り出しているところに、ホテルのメンテナンス・スタッフが到着、彼らの支援を受けてアンテナの設営にかかりました。今回は、7MHz/21MHz用に10mの垂直アンテナ、18MHz用にダイポール、そして50MHz用に5el八木を屋上に設置、その他の周波数用にはベランダからホテルの庭に向けてロング・ワイヤを吊り下げてアンテナ・チューナAH4を併用して対応しました。屋上のアンテナ設置は問題なく進んだのですが、ベランダからロング・ワイヤを吊り下げているときに、ベランダから突き出していたグラスファイバ・ポールを折ってしまうアクシデントがありました。(上村OM、ごめんなさい。)ともあれ、アンテナ設営を終えて、まずはビールで乾杯。

日本ではクラブのメンバーが待機しているのではと、少々遅くなりましたが17時(JST)ごろに田渕OMに21MHzで第1声を発していただきましたところ、間髪をいれず松原OMからコールを頂き、一同驚くとともに、うれしく今回の初QSOを順次ログインしました。しばらく、運用の後、夕食は7N4BMR江藤YLお勧めの中華料理屋で、紹興酒を友にお腹を満たしました。朝が早かったこともあり、ホテルに帰ると夜の運用をパスして当局が一番に寝てしまいました。その後、残るOM方はさらにアルコール変調が進んでいた模様です。



さて、第2日(土曜日)、まだ暗い4時(JST)頃に起きだしてローバンドをワッチしてみるもノイズばかり、あきらめて10MHzで運用を開始しました。最初は、ヨーロッパからぽつりぽつりと呼ばれる状態でしたが、そのうちウェブ・クラスタに掲載されたのか、パイルアップに。これでなくっちゃと思い、窓から見える空と海が明るさを増していくのを眺めながら局数を重ねていきました。朝食後は、18MHzで上村OMが運用、JA3EOP村上OMからコールがあり、ひとしきり「なんで、一緒に来なかったの?」という話で、眼前のサイパンの海の色や、街路樹の南洋桜の様子などを伝えました。その間、RTTYの運用準備を進めていたのですが、PCへの回り込みがあるようで、送信中にソフトウェアがハングアップしてしまい、うまく行きませんでした。18MHzで呼んでこられた、松原OMにRTTYの不調をお伝えした後も、フェライトコアを入れるなどの対策を講じてみましたが結局うまく働いてくれませんでした。事前のテストを怠ったのが悔やまれます。

朝のコンディションは、18MHzも21MHzもあまり良好とは言えず、もちろん24MHzや28MHzは何も聞こえません。前回までの運用に比べてコンディションの落ち込みを感じさせられました。ビームを持参した、50MHzもこの時点まで何も聞こえません。

昼はDFSの無料バスを利用して、サイパン第一の繁華街、ガラパンの街まで行き、真昼の人気の少ない街を歩いた(散策)後、カプリチョーザで生ビールとイタめしの昼食にしました。ホテルに戻って、午後は時折50MHzをチェックしながら、夕食時間まで14MHzと18MHzでCWを運用。南極のR1ANTが呼んでくれた。夕食後は、7MHz SSBで上村OMがCQを出すも、JAでは混信があるのか、誰も気づいてくれない。CQを出しているJA局をコールして、その周波数で運用させてもらう。しかし、コンディションが良くないのか、あまりJAからは呼ばれず、CQを出しているとサイパンのローカル局から呼ばれる。結局、CWにQSY、さらに14MHzにQSYして0時30分(JST)本日の運用を終了。スーダンのST2BFが呼んでくれて、アフリカとの交信をログイン。


第3日(日曜日)、今朝は空が明るくなってから起きだし、05時30分(JST)ごろから18MHzで運用開始。ブラジルのPP5BIを見つけてQSO、これで南極を含めて7大陸との交信完成。

堀内OMが持参した「旅がらす」(クッキングヒーター)を駆使して、コーヒ、カップラーメン、味噌汁などで簡単な自炊朝食後、レンタカーを借りて島内観光。堀内OMの運転で、当局がガイド兼ナビゲータを務める。
両陛下ご訪問の露払いではないが、島の北端の慰霊碑に手を合わせ、壊れた戦車や高射砲などの残骸が残る日本軍司令部跡などの戦跡で昭和19年のサイパン島玉砕をしのび黙祷する。どういう訳か傍若無人に振舞っている中国、韓国からのツアー客が多い。バード・アイランドなどを巡り、日航ホテルで昼食、さらに島の中央の道路を空港まで南下し、テニアン等を見ながら北へ転じてホテルにもどる。この時期、南洋桜が満開のサイパン島をほぼ一周、昼食をいれても、4時間程度のドライブでした。

部屋に戻って一休み、せっかくだからと、上村OM、堀内OM、原田OMはビーチへ向かう。留守番がてら、50MHzを聞いていると、50.080あたりで突然強力な信号が入感。断片的なCWではあったが、JA8であったと思う。バンドをゆっくり聞いてみると、50.023あたりでビーコンらしき弱い信号が聞こえ、何回か聞いているとJA1ZYK CHIBAとコピーできた。これは期待できそうと、50.110 CWでゆっくりとCQを繰り返す。13:13JST、JA7FKF/7からコールがあり、559/559で交信できた。その後は、5分とか10分くらい毎に数局から呼ばれるような状態が続くが、14:00JSTごろにはある程度続けて呼ばれるようになったため、50.120 SSBにQSY、JA1KQA田代OMも強力な信号で入感する。その後も、16:30JSTごろまでQSBはあるものの結構長時間オープンしていた。

夕食は、ガラパンのシーフードレストランで、昨年12月にクリスマス・パーティーに呼んでいただいたマリアナDXクラブのKH0X Bongさん、KH0OJ Leoさんとともにすることができ、前回のサイパン運用記事が掲載されたCQ誌4月号を贈呈する。Bongさんからは、彼らのクラブであるMDXクラブのTシャツを5名全員に頂戴した。この次は、山の上にあるクラブのレピーター局を案内してくれるとのことであった。

夕食後は、やはり7MHz SSBと思ってワッチするとJA1DOT 小林さんのCQ DXを見つけ、コールする。八王子のJH1NBN内山OMのQTHに近い山のシャックからだそうで、ビームを向けてもらうとほとんどフルスケールで入感する。ご好意を得て、そのまま周波数を使わせてもらい、しばらく運用するも、1時間後くらいに強力なノイズが出てきたため、しばらくQRT。結局、ノイズが収まらず、10MHz CWにQSY。


第4日(月曜日)は、朝のうちにもう少し10MHz CWを運用してQRTとした。ホテルのメンテナンス・スタッフの到着を待って屋上のアンテナを撤収、ベランダのアンテナも引き上げて撤収を完了。残してあったビールで、お疲れ様の乾杯。

JALがこの秋には定期便の運行を休止するとのことで、後は韓国の航空会社が引き継ぐとか、豪華なニッコウホテルサイパンも韓国企業に身売りするとかの噂もあるようです。日本からの観光客が主な収入源になっている観光客相手のいろいろな観光事業者、みやげ物屋やレストランなどをはじめとして、私達が接した現地の人たちは一様に先行きを大変不安視していました。
次回はどうなるかなと思いながらサイパンを後にしました。


最後になりましたが、コールいただいたKDDハムクラブの皆さん、有難うございました。当局のログには、次の方々のコールがあります。

JA1BHK, JA3EOP, JA1TVE, JA1KQA, JF1PJK

全体の交信数は約1,000局くらいでしたが、季節とコンディションを反映してか、160m, 80m, 12m, 10mはログが空白のままでした。

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