KH2観光・DXペディションレポート (シニアのベストエフォートQRV in 愚嗚無)
JH1EMT/岩井仲一

[きっかけ]
恒例のJA1ZFUの総会後のAC変調のかかった中での、何気ない不用意な発言「いつか海外運用やって見たいね」が話の始まり。
この不用意な発言は、居酒屋のQRMの中で、総会に友情参加のJE1ZNWのメンバーに完全に拾われていた。
この手の話は、KH0やKH6移動運用経験のあるZNWメンバーの独壇場。場の勢いはもう即go意状況。

帰りの電車の中で、「変調」が浅くなるにつれて、金策も何も無いことを思い出し、あまりにも不用意な発言を大反省。
電車を乗り過ごすほど、XYLの説得方法を考えたが妙案もなく漠然と「残念ながら中止」の吉報を待ったが事態は進むばかり。
重賞レースのお馬さんにも相談したが、お愛想ほどの目も出ない。

[夫婦の会話]
(夫)「マァーその付き合いでハムクラブの忘年会をいつもの新橋じゃなくて、違う所でやるそうだから」。
(妻)「どうせ新橋が上野になったって結果は同じ泥酔でしょ」。
(夫)「一応、グアム」。
(妻)「・・・」。
「聞いてもいないのに、自分から言うのも変だとは思ったよ・・・・・・・」。
(再び妻)「そろそろ財形貯蓄も減るころだとは思っていたけど」。
(夫の独り言)「熱意は道を開く」・・・・・・。

[KH2移動運用計画の決定]
日が過ぎて、事態は「near future」で無くなってしまった。
私の知らない間に着々と準備は進められて、次のとおりKH2移動運用計画が決定されて既に日程、参加者の集約も終わっていた。
○日程:平成20年12月13日(土)〜17日(水)
○行先:KH2(グアム島)
○参加:JE1ZNW、JA1ZFU、与野アマチュア無線連合会の有志
とどめの「結団式」に出席してみると、外堀は完全に埋まっていて、役割や携行品の分担まで出来ていた。ちなみに私の分担は紀行文のエディターとチーフコックとなっていた。

[参加者]
この呼びかけにJA1ZFU、JE1ZNWと与野アマチュア無線連合会から次の顔ぶれ6人が集まった。
JA1ZFU (NTT TRCクラブ) =JH1EMT(岩井仲一 筆者)
JE1ZNW(KDD東京ハムクラブ)=JA1HOD(上村新八)、JA1LED(原田進)、
JJ1CDY(田渕紀一)、JR1QCQ(堀内周樹)
与野アマチュア無線連合会 =JL1FYW(皆藤紘一)
現地の下見調査も兼ねて、無線だけではなく、観光、グルメなども多面的に楽しもうとの趣向とは言え、「腕っこきのDXerが一人もいないけど大丈夫かなぁ」との心配がよぎる。

[準備と当日]
「結団式」での分担で、初めての私に気を配ってくれて、破格の軽量割り当てとなったが、先輩たちが重たいリグを持っているのに対して、どうもすわりが悪いので、QRPリグとアンテナ、チューナーを持参することにした。
気まぐれの思いつきで、21MHzと14MHz兼用のアンテナとそのためのチューナーを急遽(2日前)に作った。電源はよく確認しないでいいかげんなものを持って行ったので、結果的には使い物にならなかった。(後ほど反省点を参考に記していこうと思っています)

[持参無線機・アンテナ等]
1.無線機(IC-706MK2 X2台、FT-817ND x 1台)
2.アンテナチューナー(AT-180 x 1台、AH-4 x 1台)
3.スィッチング電源(MFJ-115v/25A & DM-330MV 各1台)、QRP用電源
4.設営アンテナ1.9/3.5MHz用ロングワイヤーx1、7MHz GP x1(21MHz兼用)
14-28Hzダイポール(自作)、Out Bucker x 1、 21・14MHz GP x 1、EMTアンテナx 1
5.その他
同軸ケーブル、バンドパスフィルター、MFJ/SWRメーター、電鍵、工具一式、

[出発日当日=12月13日(土)]
出発、自宅、合流、成田ラウンジ。
成田からの飛行機は09:30の出発。時間の余裕を考えて、自宅を出るのはかなりの早朝。朝食は成田で摂ると言う事で、メンバーの合流は京浜東北線の南浦和駅6:30。
ホームで集合と思っていたら、車内合流ということだったので、約1名がはぐれそうになる局面はあったが、何とか全メンバーが合流して京成スカイライナーで無事に成田入り。
チェックインで、大荷物を分割するように言われたりした他は特に問題も無く出国手続き通過。
朝食は、特別に航空会社のVIPラウンジの利用が出来て、ホテル朝食並みの内容とさらに、アルコール類も頂けると言う事で、想定外の立派な朝食になった。
いい年をして背負子旅行をしている者としては、豪勢な朝からの「飲み放題、喰い放題」に感動。
この状況に「本性」が露呈してしまう事を警戒していたのに、気が付いたときには、
すでにいつもの「飲み放題」の人になっていた。
なんだか、この辺から「単なる泊り込みの忘年会」のヨカン。

さてヒコーキは、少し遅れてグアム島に着いたのだが、風邪をひいた赤ちゃんが居るという事で、一時間近く「機内足止め」されたが無事入国。

空港内にある滞在リゾートの送迎カウンターで受付を済ますと、専用バスが約25分で現地リゾートに直行。
リゾートはグアム島のほぼ中央、ジョニア地区の丘陵地帯に広がる総合リゾート施設で、
グアム島最大の繁華街タモン地区まで車で30分の場所にある。メインホールのホテルと、8階建てくらいのコンドミニアムが4棟の他、レストランやコンビニ等があるセンター棟、ゴルフ場、併設のクラブハウス、プールやスパ施設等から成り、施設の規模はとても大きかった。

割り当てられたのは、希望していた最上階ではなくて、E棟4階部分の隣接した3部屋で、各部屋の広さは約70u、バルコニーが広く、アンテナの設営にも好都合だ。
JL1FYWさんの顔パス(リゾートのメンバー)で、朝食付きで一人1泊30ドルとはこのところの円高の恩恵もあり、超破格の安さ。病みつきになりそうだ。

部屋に入るなり、着替え、即アンテナ設営。

設営環境としては、バルコニーが、フィリピン海向きで、日本も右端のほうに開いている筈。
アンテナは日本から持参した釣竿やポール、ロープ等を駆使して、ロングワイヤーにオートアンテナチューナの組み合わせをメインに、28MHzのダイポール、21/14MHzの垂直プラスラジアル、EMT(那須)アンテナという陣容。

寒い日本からいきなり30℃の常夏のKH2に来て、全員大汗を掻きながらの苦役作業。
3時間ほどで3部屋のバルコニーからアンテナを設置し、急ごしらえでKH2移動無線局を開設した。

だいたい、この手の作業は、設営工事中心と、運用中心の人に分かれる。
「工事関係者」は設営が終わると、予定の半分は終わったと決め込んで、一応設備のチェック程度の運用をやったら、いつしか専門の(?)オペレーターに引き渡された感じになっている。

/************* 運用状況 ********************/
早速無線局の運用チェックに入る。
設備、特にアンテナの状態は、SWR計で見たところ、順調に吸い込んでいるのだが、なにぶん景気良く聞こえてこない。
忘年会とかの「下心」が天の電離層の怒りに触れたのか、開けない。
アンテナやリグなどを色々いじって見ても中々思わしくなってこない。
もうARRLの10mコンテストが始まっている筈なのに、Wはおろか、近隣のKH0やKH6、DU、BY、JAも何も聞こえない。
そうこうしている内に、日が暮れて「電離層」遠し。
/*********************************************/

それでもお腹には隙間が出来て、気が付けば、リゾート内の野外ステージでは、ボンボコ鳴り物で南洋ダンス。
コンドミニアムというだけあって、各部屋にはちゃんとしたキッチンがあり、自炊できるように炊飯器、電子レンジなど調理器具や食器類は一通り揃っていたが疲れていたので、リゾート内のメインホールにある中華/韓国系のレストランへ繰り出した。

何がオススメか分からないので、「とりあえず注文」のラーメンが、冷麺になって出てくるハプニング。
「伸びる前から冷えているねぇ・・・・」。ここはアメリカ、注意していたのにL/Rの発音区別が出来ない。Laamenn/Ramennの正確な発音が出来ない僕のせいかも知れない。
気に掛けているのを見て、仲間が敢然と否定。きっぱり「オーダーの取間違い」。
私達の抗議に、DU(?)のウェイトレスも頑張っていたが、苦情を店長にエスカレートして、注文は訂正され、店長からExcuseのビールが出された。
夕食の帰り道、リゾート内売店で、ビールを仕入れて、宿泊棟である「クエスタE」に帰還。

さて、コンディションは相変わらず開けない。わずかに弱い局が聞こえるのだがこちらの電波が届かない。 ま、その辺は、Best Effort operation with a year-end party in GUAM と言う線で、一つの部屋に集まり、AC変調をかけながら、業界の昔話やら、無線談義で、いつしか忘年会に「純化」。
疲れも出てCQ出すも諦めかけていた頃、現地時間の23時過ぎ、CQに応答がきた。
これが初交信となった。JA2xxx 高橋さん。
「鳥山だーッ」。かつお船みたいに色めきだす。
「まさかの事態」に忘年会はあっという間に霧散消失。
忘れかけた無線隊復活。

しかし、事態は厳しく、あっという間にコンディションが悪化、どんなにマイクにビールの泡を飛ばしても。呼ばれることも、応答されることも無かった。第一あまり聞こえても居ない。
気が付けば、元通りのアイボールのラウンドテーブル。この辺で初日の記憶(録)もフェードアウト。
シャワーも浴びずに、眠り

[2日目 12月14日(日)]
「朝食付き」と言うので、リゾート内循環ミニバスで、メインホールのバイキングへ。
昼食に不安があったせいか、普段の二倍も食べている。我ながらあきれ気味。

コック長に指名されている者として、食材環境が全く分からないので、とりあえず町のスーパーを探りに、JL1FYW、JA1LED、JH1EMTの3人で行くことにした。
グアムで4番目に大きいと言う街のスーパーに、往復5ドルの「ショッピングシャトル」とか言うバスで行った。
15分くらいだったか。「アガニア・ショッピングセンター」に着いた。
最近の日本でも大型のショッピングモールが出来ているが、同じような物。
冷房が効きすぎて寒い。とても長居は出来ない。

とりあえず食料品のスーパーに入り、どんな物が売っているのかひと通り店内を回ってみた。キュウリは大きくて、ナスは色が薄く、山芋のような白くなった切り口の「ヤム芋」というのも有った。
肉が山の様に売っている。が6人で400歳近い部隊としては、・・・・・・せっかくの「アメリカンステーキ」も見送りが正解か。

冬瓜ではないし・・・(?)と見ていると、突然、日常性の無さそうな日本語を話す、60才代の日本人のレディーに声を掛けられた。
このスーパーに日本人がくるのは珍しいので声を掛けたという事でした。
現地生活が長いらしく、日本語を外国語みたいに話していた。
DUのYLさんの話すたどたどしい日本語を相手にする「エエ会話」をやりそうになった。
(この英会話の世界では、全部英語で話されたりしたら、さっぱり分からない事は言うまでも無い。)

一緒にきていたご家族の方の紹介もされて、「ナイスto ミーチュー」。
現地人と結婚して、主人に先立たれ・・・・先日来足を痛めて・・・。

ずっと聞いていたいところだが、差し迫る昼食の食材をまだ何も買ってない。
今度来たらゆっくり聞いてあげようと思ったが、連絡先を聞くのを忘れてしまった。

引き続いて食材を探していたら冬瓜みたいな物があって、Quick Saleとか書いてあって安かったので見ていたら、先ほどのご家族の方が、ヴゥエリーデリシャス」と言うので、完熟パパイヤの大きいのを買った。
実際大変美味しく、しかも6人して、1回では食べきれない程だった。

ジャガイモは、メイクインのような物や大きなサツマイモくらいの物も有った、カレーを作るのに、皮をむく手間が省けそうなのと、珍しさでそれを買ってみた。
食感は普通の物と余り変わらなかった。

結局、昼はうどんで、夜はカレーにすることにして。それ用の食材を買い込んで宿に帰った。
昼食の、UDON(うどん似)は、茹で時間が分からず、また鍋が小さくて・・・6人分をチマチマ作っているような物で、大分待たせてしまった。
朝のチャージを多めにしていて正解だった。

この買出しに行っている間に、残留交信隊は、せっせと電磁エネルギーを放出していたが、思ったほど好転しなかった様子。現地時間の10時のJA1HODによる恒例のZNWの7MHz CWモードによる交信もJA3EOPは辛うじて双方確認できたものの、JE2GAL及びJR3FNDは確認できない模様であった。11時過ぎから21MHzでJAがぼつぼつ入感し出して意気込んだが長続きせず、昼過ぎには鎮静してしまったので、無線の方は諦めてリゾート施設内のゴルフ場クラブハウスにある大浴場で汗を流し、温泉気分を楽しんだらしい。

コンディションは解説不要な写真のとおり。

昼過ぎには、事態の改善を期待して、というかもう苦し紛れに(?)ワイヤーの一部を最上階のテラスの方に延ばしたり、アンテナの張りなおしを試みたところ、わずかに好転したようだった。15時頃から28MHzでARRLの10mコンテスト参加局が入り出し、JAやBYなどの局とQSOができたものの、Wの局が全く入らない。そんな中で、北極回りの異常伝搬か、突然JJ1CDYがOR2XMTとつながったので当局もその尻馬でコンタクトに成功。

夕方になって、JA1HODの21MHzのSSBがクラスターで紹介された、約20局程度連続にコールされ、やっとパイルを体験できた。JE1ZNWメンバーのJA3EOP村上さん及びJH1NBN内山さんともコンタクトできた。
内山さんとは、JAでのQTHも近くてアイボール専門でしたので、感動。
JE1ZNWのJA留守メンバーと言うことで、当局に引き続いてメンバーが代わる代わる
QSOした。
しかしながら、肝心の電離層の機嫌がいまいちで、やはり状態は長続きしなかった。

「アメリカじゃあ、電離層まで不景気だねぇ」。
「景気の方のサイクルは幾つになるのかねぇ」。
「何でもリーマン何とかがおかしくなってから、21メガが聞こえなくなったとか・・・」
「んな馬鹿な・・・」
AC変調器は絶好調の内に日が暮れた。

夜になって、例のカレーを食べようとしていた時、ドアチャイムが鳴って、来客。
地元ハムのKH2JU Dannyさんが訪ねて来てくれた。
昼に、残留無線隊がコンタクトして、アイボールをアレンジしてくれていた。

Dannyさんは、当地にレンタルシャックを持っていて、日本のハムフェアにも度々行っているとのこと。ちゃっかりレンタルシャックの利用勧奨もされましたが、手軽に移動運用をしたい方にはFBだと思います。(この件については、KH2JUのホームページを参照。また、2008年6月のCQ誌にDannyさんが出ているのを後日発見して二度びっくり)。

この時、グアムのペディションの記念にと、全員にサイパン、テニアン、グアム、ロタのハム組織で構成されている「Mariana DX Association」のピンバッチをプレゼントしてくれました。

今夜は、シャワーを浴びて寝た。

[3日目 12月15日(月)]
例によって(?)朝食はバイキング方式の食べ放題だが、皆「ターボチャージ(過給)」気味。
「早く食べられる物が良いねぇ」。
「今日の昼はカップヌードルで良いよね」。
昨日の待たされた昼食から今日を警戒している。観光とか、ショッピングとかDXペディション参加の意義がバラバラなのに、この時、「食い意地」という一点で固い絆を感じていた。

昼食は、みんなの希望どおりカップヌードル、とてもスムースに胃袋に納まった。
デザートは、昨日のパパイヤの残り物。熟れ具合もよく大好評。

さて、無線の方は相変わらず電離層のご機嫌斜め。ご機嫌取りにアンテナのワイアーを最上階のテラスに引っ張ってみたりして様子をみる。
当局は既にグアム島ペディションの最少ラインの5局交信達成しているので余裕。(フィールドデーも邪魔しないように最大で5局程度に自粛している)。

他の各局も、それぞれの設定した目標に向けて頑張っている。
中でもJA1HOD局は、電離層の顔色を伺いながら、弱い電波を地道に拾っている。

コンディション待ち、「超低」目標達成の局は、ひたすら忘年会、と明日の最終日のプラン。
電離層が好転しなくても帰る日は迫っている。
「マカデミアナッツ5箱セット」の他にも「行ったぞー」の何かがほしい。
という事で、70ドル島内一周観光に衆議一決。
パンフレット集め、ツアーデスクへの申し込み、ツアーの集合関係などばたばたと手分けして進める。

日も暮れかけた頃、昨日に続きKH2JU DannyさんがKH2A/T88CB Harveyさん、 W8XGI/KH2さんを連れて訪ねてくれた。
お空の機嫌が悪くてQSO数が伸びない分、グラウンドミーティングでカバーしようと言う訳ではないが、地元ハムとのアイボール交流は海外移動運用の楽しみの一つでもある。
ひとしきりお互いの紹介、グアムやパラオのアマチュア無線業界の状況を聞いたり、情報交換などをした後、JA1HOD、JJ1CDY両人の案内でアンテナの設営状況などを見学してもらった。

W8XGI/KH2=JA1XGI/内田晴久さんは、頻繁にグアムに来ては運用しているということでしたが、今回もタモン地区のマリオットリゾートから運用していて、昨日KH2/JA1HODとKH2同士で超ローカルQSOしたOM。OMが利用しているホテルと比べて超格安のロッジングに加えて、ロケーションの良さとアンテナの設置状況に感心しきりだった。
KH2JU Dannyさんは、執拗にレンタルシャックを一度見に来て欲しいと言っていたが、まだ島内見物をしていないし、明日一日は観光の予定で埋まっているから、残念だが行けない旨説明して、せっかくですがお断りせざるを得ませんでした(ごめんなさい)。

お客さんが帰って、時間も遅くなっていたので、今晩はタモンの街に出ての外食にしようという事になって、無料のショッピングシャトルで街に繰り出した。

Dannyさん達からいくつかの候補のレストラン名を聞いていたのだが、さっぱり見当がつかない。聞いた名前のところは通り過ぎてしまうし、でも終点のリゾート提携ホテルの前にある「xxxバック」というスーキハウスだけは、皆覚えていた。

予約無しで行ったので、少し待つことになったのだが、順番がくるまで、そこに縛られなくてすむ様に「ペイジャー≒ポケベル」を持たしてくれた。
時間がくるまで、下の階にある土産物屋でのショッピングなどが出来るような、時間を無駄にしない配慮には感心した。

お酒も回って、
「ステーキは美味い・・・・・ん、この肉、ぱさぱさしていて幾らかヘルシーな感じ」。
「最近は、KH2でも油控え目かねぇ」。
「壁飾りがブーメランだったり、オーストラリアのお店みたいだね」
「ん、・・・・・もしかして、あの有袋類のボクシングをやる、あのカンガルーの肉かも」
「まさかぁ」。

店を出て振り返った看板には、飛脚みたいな荷物を方にした、カンガルーの絵が。
「・・・やっぱり・・・・」
答えオーストラリアさんの牛肉(オージービーフ)。
帰りも、無料の「ホテルシャトル」で帰った。

[4日目 12月16日(火)帰国前日]
一日島内観光。70ドルで島内一周コース。
島内めぐりのツアーバスは、朝早くホテルを出発し、もう一つの集客ポイントでお客を
拾って、ほぼ満席になった。

バスは、一旦海の方のアガニア地区に出て、左回りにグアム島を一周した。
アガニア湾の遊覧船に乗った途端にメタボ体型の船長が「Fasten seat belt, please」???
船の座席にはもともとseat beltなど装備していない。全く冗談の好きな船長だ。
船は時に、錨を下して乗船客の観賞用に餌を撒いて集魚をしたりしながら、湾内一巡り。
途中に海軍基地があったが、「今日はテロリストを乗せているから近づけない」等と、
「ツーリスト」に掛けて笑いを取っている。
「島が発見されて・・・・」。住んでいる人を征服して「発見」は無いだろうと思うが、白人史はいつもそのように書く。

「グアム島」と言えば、私の頭では、サイパン等と並ぶ「恥かしながら、横井正一・・・」の激戦地。
村のお墓の一角に、同一規格の異様さで並ぶ、30近い墓石に「グアム島」と言う文字があったのを思い出す。
「今生きていれば、あそこの父ちゃんと同い年。あの二人は仲が良くて年中一緒に遊んでいたんだよ」。説明してくれた母親の言葉が思い出される。
現に、横井さんは、すでに墓石にされていて、自分の墓石に対面している写真が紹介されていた。

この不況下にもかかわらず、聖域化して、今年予算が3倍になった駐留経費負担で沖縄から、部隊の一部が移転するというグアムの米軍基地。
微妙な問題があるので大きな基地としか説明しない。

メインゲート前に飾られている、旧日本軍の人間魚雷、引き続く見学コースで、日本軍砲台跡、防空壕、「横井CAVE」、その歴史資料館の「ハラキリの絵」。
グアム島(サイパン、テニアン等)めぐりは、結局、戦地、戦史、戦死めぐりになってしまう。
歴史、現実政治に目を逸らし続ける、懲りない、浮ついた日本人の一人として思わぬところで勉強する事になった。史実確認は必要だと思っていたので、この機会は想定外の収穫であった。

このツアーは、適当にショートカットするだろうと思っていたが、きっちりと一周してくれ、日本人をターゲットにしていて、ニホンゴで説明してくれた。
いつもは、良くて半分しか分からない英語の説明で苦労させられていたので、本当にありがたいと思った。
ツアーが始まると、お客さんの中に台湾からの3人組が居て、日本語の説明に困っていた様子。その状況に、我が仲間は、早速ボランティアの「和⇒英・中通訳」開始。
AC変調がかかっていない筈なのに、通訳絶好調。もうとまらない。
勢い余って船の中では、「ガイドは俺の仕事だ」と注意される一幕も。

そんな縁で、40歳前後の男女ペアーと25歳位の女性の台湾3人組と仲良くなった。
イケメンのプレイボーイ風の男=遊び人、対の女=台湾のアラフォー、若い独身女性=ハイビスカスとあだ名をつけた。3人の関係を聞いたところ、遊び人はアラフォーのボーイフレンド、ハイビスカスはたまたまグアム空港の入国検査キューで一緒になり、同じホテルの隣室となったので、一緒に旅行しているだけとのこと。こちらが聴きもしないのに、遊び人とアラフォーはホテルの部屋は同室ながらベッドは別とのこと(?)。
「遊び人」は日本語も英語も通じないので、筆談でからかったところ、「私の名前は"呉・・ですが、通称"在宅男"です」と名乗ったのには一同「ぎゃふん」でした。
その後は「在宅男」と呼ぶようにした。

このツアー、見所を外れた所では、日本のガイドの様に時間つぶしも心得ていて、・・・・・・・「ミナサーン」、「ココナッツの意味をご存知ですか」・・・・
「コタエハ」・・・・・・「ココハ、夏」等とやっていた。

宿に帰ってから、そのガイドの続きをやったら大いに盛り上がった。
エエ(英)語の仕込み先(アジア系の夜間クラス)の関係で、この手のエエ(かげん)話は絶好調。
こんにゃくは、Eating tonight
パパイヤは、dislike father
暑いは、hot
もっと暑いのは、暑い暑いで = two hots (too hot)だっぺぇ。
だから、さらに暑い時は、three hots つうわけだ。 「????」
私のエエ語は、公道での使用禁止、の夜間限定免許。なのに、人の真似をして旅行に行く。
日本語の分かる(?)「親切な人」を頼って、時々厄介な事になったりしたのに、あまり懲りていない。失敗のマイレージは満タンになっている。

島内観光バスは夕方近くなって、タモン地区のホテル前で終点。
土産物屋、飲食関係も揃っている地点でバスを降りて丁度良い。
たそがれも近づいて、帰国の前日。今や、日本人の証明みたいに土産の買出しタイム。

財政事情に応じて、それぞれが「自分サイズ」の「5箱でxx円」の土産のチョコレートなどを仕入れに行く。
「特別のサイズ(?)」のメンバーは、厳命を受けているらしく、写真付きの買い物リストに従って、ブランド品のカバン等の買い込みで忙しい。

僕の入った土産屋には、ビールも売っていたので、外のベンチで飲むつもりで買ったところ、偶然同じ店に来ていたメンバーが「GUAMは外での飲酒は結構ウルサイですよ」。
でも、もう買っちゃったし・・・。
その顔を読んでQCQさん。「こうすれば良いんだよ」と「正しい飲み方」を指導してくれた。

待ち合わせに場所を決めておいた訳でもないが、「別サイズ」のメンバーもやってきて、全員揃って夕飯を食べに行くことになった。
昨晩は、6人で四百歳になろうかという構成にもかかわらず、ステーキしてしまった反省からか、今日はパスタ。昨晩のステーキ屋の隣。他にも有るだろうと思ったが、疲れも溜まって、探し回る状況ではない。
イタリーレストランで早速手を上げ、注文の場面。
突然、メンバーの一人が「待った」。
「このイタ飯屋は東京にもブランチが有るが、ここの料理は日本人向けにボリューム調整されていないから、普通に人数分頼んだら「400歳」には絶対食べきれない」。とのアドバイス。実際、「少な目」でも、パスタの分量はやっと食べきる状況だった。
帰りは昨日と同じ、リゾートの運行している無料のホテルシャトルで帰った。

[5日目 12月17日(水)帰国当日]
いよいよ帰る日がきてしまった。振り返ると、天の電離層に見放され、無線に関して言えば「何しに来たか分からない」・・・・でもない。
成田のラウンジからそんな「無線機を持った海外忘年会」の予感はあったし、元々コンテストは邪魔しない方だったから、メンバーにも恵まれ、とてもよい「忘年会」ではあった。

とそんなに言うほどには、思い切りも良いほうではないから、つい粘ってしまった。
帰りのバスは、「ホテル前12時出発です」と聞いているのに、最後の最後まで、何とかこの"EMTアンテナ"で・・・」と頑張る。
たまたま宿泊客のいなかった最上階ペントハウスの広いバルコニーに無断侵入。テーブルを逆さにして、アンテナポールを縛り付け、SWRのご機嫌をとって呼んでみるが誰もショボ波を拾ってくれない。
私としては、QRPポリシーは良いとしても、もう少しそれなりの、QRP独特のオペレートテクニックを磨く必要を痛感しました。今まで、殆んど偶然の様にQRP-DX出来ていた事で油断していた。タイムリーな「スポラディック・オペレート」でなくて、「ズボラディック」であった事も大きな要因である事は言うまでもない。

心配していた悪い予感が当たって、滞在期間中は電離層の機嫌が悪く、6人全員でのQSO数は3.5、7、14、21、28MHzの5バンドでCW・SSBを合わせて約100局にとどまる結果となったが、DXペディションとしての立地に加えて、利用施設や利用料金などは申し分ないことが確認できました。
調査を兼ねた下見目的の旅行としては大変有意義な忘年会ぺディションだったと思います。
今回の下見調査を参考に6月頃にちゃんとした移動運用を計画したいと話し合った。

最後に、現地のKH2JUさん、KH2Aさん、W8XGIさん陣中見舞いありがとうございます。
先にもちょっと触れましたが、KH2JUさんは現地で、「レンタルシャック」をやっておられて、昨年のCQ誌に紹介されているように設備も充実しておられるので、「腰の重い人」にも気軽に計画できると思います。
・・・・・・・・・

おわり

(※本文はJH1EMT作成のKH2紀行文を掲載のためJE1ZNWにてHTML化させていただきました)

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